2010年3月に開催されました「映像総合展示会CP+2010」望遠鏡ゾーンに展示された、歴史をいろどった双眼鏡の写真集です。
本企画は「大塚光学株式会社、鎌倉光機株式会社、株式会社ビクセン、株式会社ニコン」の4社の日本望遠鏡工業会会員様のご協力によるもので、写真工房「SHIN」新井 真氏に写真撮影をお願いしました。
双眼鏡は、極初期にはガリレオ式望遠鏡を二つ並べた複式望遠鏡として開発され、19世紀に普及したと言われています。そして、正立像が見れるプリズム式双眼鏡の原型は、1854年にイタリアのポロが開発し、小型化と性能向上が図られ、19世紀末にドイツ人アッペによりプリズム式近代双眼鏡が開発されました。
ここに収録しました双眼鏡は、1868年(慶応4年)に使われた双眼鏡から始まり、国産第一号の双眼鏡を生みだした「藤井レンズ製造所」の歴史的製品、 第一次大戦、第二次大戦(太平洋戦争)時代に軍事用途として多用された各国の代表的な双眼鏡、そして戦後の民生用として復興をしていく双眼鏡から平和の時代の象徴でもある「東京オリンピック、札幌オリンピック」公式モデルまでを掲載しています。
双眼鏡の歴史(発明から20世紀初頭まで)
西暦 | 日本歴 | ||
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1608 | 慶長13年 | リッパシー、望遠鏡を発明 | |
1609 | 慶長14年 | ガリレイ、ガリレイ式望遠鏡製作 | |
1613 | 慶長18年 | ジョン・セーリス、徳川家康に望遠鏡を贈る | |
1792 | 寛政4年 | 国友藤兵衛重恭、望遠鏡製造に着手し15年後にグレゴリ式望遠鏡完成 | |
1854 | 安政1年 | ポロ、ポロ式プリズム配置の特許取得 | |
1859 | 安政6年 | プーランジュー、プリズム式双眼鏡発明 | |
1893 | 明治26年 | アッペが、今日の原型となったプリズム式双眼鏡を設計、カール・ツアイス社が8x20を製作 | |
1900頃 | 明治33年 | 藤井竜蔵、英国ロッス社製第一号プリズム双眼鏡12x20を入手 | |
1908 | 明治41年 | 藤井竜蔵、藤井レンズ製造所創業 | |
1911 | 明治44年 | 藤井レンズ製造所、国産第一号8x20プリズム双眼鏡製作、ピクトルと命名 | |
1914 | 大正3年 | 双眼鏡を連合国に輸出 |
写真集 ※画像クリックで拡大表示します
1868年(慶応4年)
大村益次郎が使用したものと同じ双眼鏡
- LEMAIRE FABI 5x54(フランス製)
- 1868年(慶応4年)、大村益次郎が幕末王制復古のため使用したものと同じタイプのガリレイ型双眼鏡。
- 靖国神社にある大村益次郎の銅像は、この同タイプの双眼鏡を持って、上野に立てこもった彰義隊を見つめている。
(株)大塚光学様所有品
1883年(明治16年)
双眼式正立屈折望遠鏡
- 9X31 ZCF
- 英国陸軍旅団の大佐から陸軍少佐テッピプグスに贈られた双眼式正立屈折望遠鏡で、視度調整、眼幅調整はピニオンギアーで作動し、筒は錆止めのため金メッキを施してあり、当時としては最高級品の貴重なものであったと思われる。
(株)大塚光学様所有品
1897年(明治30年)
ゲルツ社蝶番式双眼鏡
- 6x20 ZIF
- 1897年(明治30年) 独ゲルツ社で開発した初期のプリズム双眼鏡。蝶番は光軸調整のためのもので眼幅固定装置もついている。
(株)大塚光学様所有品
1900年(明治33年)
我が国のモデルとなった双眼鏡
- 12x20 ZCF
- 西暦1900年(明治33年)7月11日PATENTと銘記された英国ロッス社の双眼鏡で、藤井レンズ製造所が1911年(明治44年)に国産第一号を生むモデルとなった歴史的な双眼鏡である。
(株)大塚光学様所有品
1917年
プリズム式国産最高級双眼鏡
- 天祐6x30
- 藤井レンズ製造所で製作され、1917(大正6)年日本光学工業(株)(現:ニコン)設立時に製造が引き継がれた、当時、国産最高級双眼鏡。
(株)ニコン様所有品
太平洋戦争で使われた双眼鏡
オリオン6x24
- 1921(大正11)年日本光学工業(株)(現ニコン)で設計され、戦後まで生産が続けられたベストセラー双眼鏡
- この双眼鏡は、太平洋戦争中、戦艦武蔵が撃沈されたときに日本軍の偵察機にて使用されたと伝えられている。
(株)ニコン様所有品
戦前(1930-40年代)
日本陸海軍が使用した双眼鏡
ノバー7X50
- 昭和初期、我が国陸海軍が正式採用した目盛入双眼鏡(日本光学製) 。
- 海軍では「ノバー」と呼ばれたところから、一時は「ノバー」は双眼鏡の代名詞であった。戦後、輸出の花形となった
(株)大塚光学様所有品